ジャン・アンドレ・エマヌエル・ボーセジュール・コリケオJean André Emanuel Beausejour Coliqueo, 1984年6月1日 - )は、チリ・サンティアゴ出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF(左ウイング、左ウィングバック)。

来歴

クラブ

初期の経歴

父親はハイチ共和国出身であり、母親はチリ出身(マプチェ族)である。2001年にウニベルシダ・カトリカからデビューし、それ以来数多くのクラブでプレーしている。2004年、スイス・スーパーリーグのセルヴェットFCと1年契約を結んだ。2005年にはブラジル・セリエAのグレミオFBPAに加入し、2006年にはベルギー・ジュピラー・プロ・リーグのKAAヘントに加入。2007年にはチリに帰国し、CDコブレロアで1年間プレーした後に2008年にCDオヒギンスに加入。オヒギンスでのプレーはチリ代表のマルセロ・ビエルサ監督に注目され、3度代表に招集された。2008年12月1日にメキシコのクラブ・アメリカと3年半の契約を結び、1シーズン半をメキシコでプレーした。

バーミンガム・シティ

2010年8月31日、プレミアリーグのバーミンガム・シティFCと3年契約を結んだ。移籍金は公開されていない。労働許可証取得を待ったためにデビューが遅れたが、9月18日のウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC戦 (1-3) で、83分にアレクサンドル・フレブとの交代で出場してデビュー。フットボールリーグカップのMKドンズ戦 (3-1) では初めて先発出場し、フレブとニコラ・ジギッチの得点をアシストして強い印象を残した。FAカップのミルウォールFC戦では先制点をアシストし、さらに20ヤードの距離からクロスバーを直撃するシュートを放った。FAカップ5回戦のシェフィールド・ウェンズデイFC戦では、6分にリー・ボウヤーの切り返しからインサイドキックで移籍後初得点を挙げた。バーミンガムはカーリングカップで決勝に進出し、ウェンブリー・スタジアムでアーセナルFCと対戦した決勝 (2-1) では後半に途中出場して優勝の瞬間に立ち会った。この結果、バーミンガムは約50年ぶりの主要な欧州カップ戦となるUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得。2011年3月5日、ホームで行われたWBA戦 (3-1) で移籍後リーグ初得点を挙げ、4日後のエヴァートンFC戦でリーグ2点目を決めた。

2011-12シーズンのUEFAヨーロッパリーグ・本選出場プレーオフではCDナシオナル(ポルトガル)と対戦し、ファーストレグ (0-0) ではバーミンガム・メイル紙によってマン・オブ・ザ・マッチに選出された。クリス・ヒュートン監督はボーセジュールにいっそう攻撃的な役割を演じることを求め、レスター・シティFC戦 (2-0) ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた。UEFAヨーロッパリーグ・グループリーグのクラブ・ブルッヘ戦では自身のミスから失点を招いたが、ジギッチのシュートの跳ね返りを押しこんで得点し、さらにペナルティエリア内でファールを受けてPKを獲得した。11月のバーンリーFC戦 (2-1) では、2分に再びリバウンドボールを押し込んで先制し、リーグ戦でのシーズン初得点を記録した。

ウィガン・アスレティック

2012年1月25日、プレミアリーグのウィガン・アスレティックFCと2年半の契約を結んだ。移籍金は公開されていない。1月31日、ホワイト・ハート・レーンで行われたトッテナム・ホットスパーFC戦 (3-1) でデビュー、ホームデビュー戦となったエヴァートンFC戦ではマン・オブ・ザ・マッチ級の活躍を見せた。ボーセジュールが蹴った低いクロスが相手ディフェンダー フィル・ネヴィルの足に当たり、キーパーのティム・ハワードの手をすり抜けてオウンゴールとなった。

2度目の母国復帰

2014-15シーズンよりCSDコロコロと2年契約を結び再び母国に復帰。2016年7月18日、ウニベルシダ・デ・チレに移籍した。2022年1月28日、現役引退を表明した。

代表

2004年にチリ代表デビューし、2009年6月10日の2010 FIFAワールドカップ・南米予選・ボリビア戦で初得点を挙げた。2010年には南アフリカで開催される2010 FIFAワールドカップ本大会のメンバーに選出され、グループリーグホンジュラス戦 (1-0) では試合唯一の得点を挙げた。この勝利はチリにとって、1962 FIFAワールドカップ以来となる本大会での勝利となった。チリは決勝トーナメント1回戦でブラジル代表に敗れたが、ボーセジュールはグループリーグ3試合とブラジル戦の全4試合に出場した。

2011年11月、2014 FIFAワールドカップ・南米予選のウルグアイ戦の前に、4人のチームメイトとともに代表から追放された。宿舎の門限を破った上に、酒に酔った状態であったと報じられている。クラウディオ・ボルギ監督は「チリ代表として、プロサッカー選手としてふさわしくない」と表現した。チリサッカー連盟は後に10試合の出場停止処分を科したが、ボルギ監督は「近いうちにはボーセジュールとホルヘ・バルディビアを招集することはないだろう」と述べた。しかしボルギ監督はすぐにボーセジュールを代表に呼び戻した。

2014 FIFAワールドカップ本大会のメンバーにも選出され、グループリーグのオーストラリア戦でペナルティーエリアの外から得点を決めた。ボーセジュールはチリ代表の選手として初めて、異なる2回のワールドカップ本大会で得点を決めた。

2018年3月27日、デンマークとの親善試合に出場し、この試合でアルトゥーロ・ビダルとともに代表通算100試合出場を達成した。

代表歴

出場大会

  • チリ代表
    • 2010 FIFAワールドカップ
    • 2014 FIFAワールドカップ

試合数

  • 国際Aマッチ 109試合 6得点(2004年-2020年)


得点

タイトル

クラブ

カトリカ
  • カンペオナート・ナシオナル : 2002アペルトゥーラ
バーミンガム
  • フットボールリーグ・チャンピオンシップ : 2010-11
グレミオ
  • カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB : 2005
ウィガン
  • FAカップ : 2012-13
コロコロ
  • カンペオナート・ナシオナル : 2015アペルトゥーラ
ウニベルシダ・デ・チレ
  • カンペオナート・ナシオナル : 2017クラウスーラ

代表

チリ
  • コパ・アメリカ : 2015, 2016

個人

  • コパ・アメリカ・ベストイレブン : 2016

脚注

外部リンク

  • ジャン・ボーセジュール - National-Football-Teams.com (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - Soccerway.com (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - Soccerbase.comによる選手データ (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - FootballDatabase.eu (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - WorldFootball.net (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - FIFA主催大会成績 (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - playmakerstats.com (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - BDFutbol.com (英語)
  • ジャン・ボーセジュール - AS.com (スペイン語)

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