正親町季董(おおぎまち すえただ、1874年(明治7年)6月19日 - 1945年(昭和20年))は、日本の華族(男爵)。正親町公董の三男。妻は裏松良光の長女・良子。旧名・董次郎。
経歴
1889年(明治22年)5月6日、正親町伯爵家分家を起こし、父の勲功により男爵を叙爵した。東京帝国大学法科大学政治科卒業、司法大臣秘書官を務めた。久原商事の支配人として、1916年(大正5年)7月から1年間ロシア帝国のペトログラードに滞在。帰国後その体験談として「滞露漫記」を雑誌『実業之日本』に連載し、『露西亜遊記』の題で単行本を刊行した。華族廃止論を唱えた。のち山下汽船会社顧問。1919年(大正8年)11月22日に隠居し、1920年(大正9年)2月3日に分家した。家督は嗣子・季光が継承し、1919年12月20日に男爵を襲爵した。
河上肇『小国寡民』によると、コーカサス地方の紀行文があるという。「コーカサス軍道の風光の雄大秀麗は、あまねく日本内地を周遊した筆者も、その比を求むるに苦しむ」。
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。




