レイモンド・スコット・ラッセルRaymond Scott Russell, 1964年10月28日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州イーストポイント出身のオートバイレーサー。スーパーバイク世界選手権、AMAスーパーバイクでチャンピオンを獲得した。デイトナ200マイルレースでは通算5勝という史上最多記録を持ち、"ミスター・デイトナ" の異名を持つ。1993年には鈴鹿8時間耐久ロードレースでも勝利を挙げ、またAMAスーパースポーツ750ccクラスで通算最多優勝記録を保持している。

経歴

AMA時代

子供時代にモトクロスのレースに出場し、その後はWERAのレースイベントに出場、1987年からはAMAのレースに参戦を開始する。翌1988年には750ccのスーパースポーツクラスでシリーズ2位に入り、スーパーバイクや600ccスーパースポーツクラスでも成功を収めた。1989年にはスーパーバイクでシリーズ2位、1990年から1992年までは750ccスーパースポーツで3年連続チャンピオン、特に1991年にはシーズン全勝を果たす大活躍を見せた。1992年にはさらに最高峰AMAスーパーバイクでチャンピオンを獲得、1995年のデイトナ200では1周目に転倒クラッシュを喫したにもかかわらず、カール・フォガティを抑えて優勝を果たした。

スーパーバイク世界選手権

スーパーバイク世界選手権には1989年以降スポット参戦を続け、1991年と1992年には表彰台も獲得していたが、1993年に Rob Muzzy 率いる Muzzy・カワサキチームからフル参戦を開始、初年度にしていきなりチャンピオンに輝いた。またこの年はアーロン・スライトと組んで鈴鹿8時間耐久ロードレースにも出場、カワサキに初優勝をもたらした。翌1994年にはドゥカティを駆るカール・フォガティに敗れてシリーズ2位に終わった。

ロードレース世界選手権

ラッセルは1995年シーズン序盤にスーパーバイク世界選手権を去ると、シーズン途中に現役引退を発表したケビン・シュワンツの後継として、ラッキーストライク・スズキチームからロードレース世界選手権500ccクラスに参戦を開始した。翌1996年も同チームに残留しフルシーズンを戦い、3位表彰台を2度獲得してシリーズランキング6位の成績を残した。

再びスーパーバイク世界選手権へ

1997年にはヤマハのマシンを駆ってスーパーバイク世界選手権に復帰、1回のポールポジション、2回の表彰台を経験し、シリーズ6位に入った。翌1998年にはトップ集団で争うことがほとんどなくなり、シリーズランキングは10位に終わった。この年のラグナ・セカでのレースでは、スタートで明らかなフライングを犯してしまい、その後ストップ&ゴーペナルティの指示を無視して走り続け、最後は転倒によってチームメイトの芳賀紀行を道連れにしそうになった。

AMAスーパーバイク ~ 引退へ

ラッセルは1999年、2000年とAMAスーパーバイクでハーレーダビッドソンのマシンを駆ったが、成功は収められなかった。2001年の開幕戦デイトナ200、ラッセルはHMC・ドゥカティチームからエントリーした。ドゥカティは "ミスター・デイトナ" が同社にデイトナ200初優勝をもたらしてくれることを期待していたが、スタートでラッセルのマシンはエンジンストールを起こし、コースサイドにマシンを避けようとしていた時に後続車が追突。結局ラッセルはこのときに負った重傷が原因で、トップレーサーとしてのキャリアを終えることになった。

近年の活動

2005年、ラッセルはAMAの "オートバイの殿堂" (en:Motorcycle Hall of Fame) 入りを果たした。2008年には元AMAスーパーバイクチャンピオンのジェイミー・ジェームズが用意したヤマハ・YZF-R1を駆ってデイトナ200のスーパーストッククラスに復帰を果たした。2009年からは、アメリカのモータースポーツ専門チャンネル "SPEED TV" の解説者を務めている(同じく解説を務めるフレディ・スペンサーがスケジュールの関係で出演できない場合の代役)。

主なレース戦績

ロードレース世界選手権

スーパーバイク世界選手権

鈴鹿8時間耐久ロードレース

脚注

外部リンク

  • AMAオートバイの殿堂 スコット・ラッセル

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