紙背文書(しはいもんじょ)とは、和紙の使用済みの面を反故(ほご)として、その裏面を利用して別の文書(古文書)が書かれた場合に、先に書かれた面の文書のことをいう。後で書かれた文書が主体となるので、先に書かれた文書が紙背(裏)となる。裏文書(うらもんじょ)ともいう。
概要
古くは和紙が貴重品であったために、使用済みの面を反故(ほご)として、白紙の状態である裏面を利用して別の筆記を行っており、漉返紙と並んで和紙の再利用法として活用されていた。また、紙背を利用されるのは古文書ばかりではなく、不要になった典籍が利用される場合もある。奈良時代から具注暦の余白部分に日記を書く習慣が生まれたが、書ききれなかった部分を紙背に追記して記述した。他に、後日、補筆・清書作業を行うことを考慮し、そのための参考内容を調達の容易な紙背を利用して執筆した文書などがある。万葉仮名、仮名消息など、かなの発達史上、重要な紙背文書が多くある。また、長期保存する必要のない動産管理の文書も見受けられるため、庶民の財産状況を知る手がかりにもなり、史料価値が高い。
紙背文書として用いられた元の文書は廃棄しても差し支えが無い文書、すなわち重要な公文書や民間の権利文書ではなく、日常的事項について書かれた書状など短期的な役割を果たした後は保存の必要が無い(廃棄しても問題無い)文書が多く、それだけに全体の断片のみの情報に限定される可能性の問題はあるものの、紙背文書からは公的な文書では伝えられることのない日常的な情報を見い出すことも可能となる。
主な紙背文書
正倉院文書
正倉院の中倉に納められている文書を正倉院文書という。戸籍などの律令国家の公文書が反故として東大寺に渡り、その紙背を東大寺は記録紙などに利用した。『装潢手実』、『正倉院万葉仮名文書』など数多くの紙背文書がある。
- 装潢手実
- 正倉院万葉仮名文書(「和可夜之奈比乃(わがやしなひの)…」)
- 正倉院万葉仮名文書(「布多止己呂乃(ふたところの)…」)
因幡国司解案紙背仮名消息
虚空蔵菩薩念誦次第紙背仮名消息
稿本北山抄紙背仮名消息
九条家本延喜式紙背仮名消息
三宝感応要録紙背仮名消息
諷誦文紙背仮名手紙
五部大乗経紙背仮名手紙
宝積経要品紙背短冊
手紙
千葉氏が用いた行政文書を、千葉氏の家臣富木常忍が日蓮に譲り、日蓮が弟子檀那への手紙などに使った。中山法華経寺などに所蔵されている。
日記
平安時代から江戸時代にかけて書かれた公家や僧侶の日記。元々、日記は具注暦の余白を用いて記されていたが、書くスペースには限りがあるため、具注暦の裏側にも記入され、更に全く違う裏紙を継ぎ足して続きを記すことも行われていた。
- 平信範の『兵範記』
- 藤原定家の『明月記』
- 万里小路時房の『建内記』
- 尋尊の『大乗院寺社雜事記』
- 三条西実隆の『実隆公記』
- 山科言継の『言継卿記』
- 義演の『義演准后日記』
写経
典籍や経典の素材としても紙背文書が用いられていたが、後者の場合には執筆者の没後に遺族や関係者が紙背に写経を行って個人への供養とした例がある。伏見天皇が父である後深草天皇の没後にその生前の書状の紙背に『法華経』を写経したものが、妙蓮寺に現存している。また、叡尊の書状の裏に摺写された『般若理趣経』が西大寺や法華寺に残されているが、これも同様の趣旨であったとみられている。
脚注
参考文献
- 森岡隆 『図説かなの成り立ち事典』(教育出版、2006年8月)ISBN 978-4-316-80181-0
- 「図説日本書道史」(『墨スペシャル』第12号 芸術新聞社、1992年7月)
- 「かな百科」(『墨』芸術新聞社、1990年6月臨時増刊 書体シリーズ4)
- 可成屋 『すぐわかる日本の書』(東京美術、2002年12月)ISBN 978-4-8087-0734-7
- 小松茂美ほか 『特別展 日本の書』(東京国立博物館、1978年10月)
- 田中稔『中世史料論考』(1993年、吉川弘文館)ISBN 978-4-642-02733-5 P174-189 第二部第三章「紙背文書」
関連項目
- 裏紙
- 漆紙文書
- パリンプセスト
- 日本の書道史

