スティーブン・ウェイン・ベドローシアン(Steven Wayne Bedrosian , 1957年12月6日 - )は、アメリカ合衆国・マサチューセッツ州メシュエン出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
息子のキャムも野球選手(投手)。
人物・来歴
アトランタ・ブレーブスに入団し、1981年4月14日にメジャー初登板。この年は15登板のみ。1982年は開幕からセットアッパーとして起用され、シーズン途中でクローザーに転向すると、合計64試合に登板(うち先発3)し、8勝6敗11セーブ、防御率2.42の好投でチームの地区優勝に貢献。1983年は19セーブ、1984年は11セーブ。1985年に、当時の年間セーブ記録保持者ブルース・スーターがFAで移籍入団したのを機に、先発に転向。しかし、37試合の登板(全て先発)で7勝15敗に終わり、この年限りでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。
フィリーズではクローザーに再転向し、1986年は29セーブをあげチームの2位躍進に貢献。この年以後、先発での起用はなかった。そして、1987年にはチームは最下位に転落したが、65試合の登板で5勝3敗40セーブ(リーグ1位)、防御率2.83の成績を収め、サイ・ヤング賞に選ばれた。また、自身唯一のオールスターにも出場(#エピソード参照)。1988年にも28セーブをあげたが、1989年途中にニューヨーク・メッツからロジャー・マクダウエルが移籍してきたこともあり、地区優勝争いを繰り広げるサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍。ジャイアンツでは17セーブをあげて地区優勝に貢献。シカゴ・カブスとのナ・リーグチャンピオンシップシリーズでは、1勝1敗で迎えた第3戦から3試合連続でセーブをあげ、チームとして27年ぶり、自身初のワールドシリーズ出場に貢献。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズは1度もリードを奪えず4連敗に終わり、登板機会がなかった。翌1990年は17セーブに終わったが、リーダーシップを評価されてウィリー・マック賞を受賞。
1991年にはミネソタ・ツインズに移籍。クローザーにはこの年42セーブをあげたリック・アギレラがおり、主に中継ぎとして起用され、56試合に登板し5勝3敗6セーブ、防御率4.42の成績。チームはワールドシリーズに進出し、古巣ブレーブスと対戦。しかし、ア・リーグチャンピオンシップシリーズ、ワールドシリーズでもクローザーはもっぱらアギレラで、中継ぎとしての起用であったが、自身初のワールドチャンピオンに輝く。翌1992年には1年間登板がなく、1993年にブレーブスに復帰。3年間投げるがひたすらセットアッパーとしての起用で、セーブは0。チームがワールドチャンピオンとなった1995年の8月に解雇され、現役を引退した。
エピソード
- 1987年のMLBオールスターゲームでは同点の9回裏に登板。1アウト一・二塁のピンチを招き、打者を一塁ゴロに討ち取るも、遊撃手からの送球がそれ、一塁カバーに入ったベドローシアンがようやくキャッチ。これを見て二塁走者のデーブ・ウィンフィールド(ヤンキース)は三塁を回り、捕手のオジー・バージル(ブレーブス)にタックルしたが間一髪アウト。スリリングなシーンを演出した。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
- 「-」は記録なし
タイトル
- 最多セーブ投手:1回(1987年)
- 最優秀救援投手:1回(1987年)
表彰・記録
- サイ・ヤング賞:1回(1987年)
- MLBオールスターゲーム出場:1回(1987年)
- ウィリー・マック賞:1回(1990年)
- ローレイズ・リリーフマン賞:1回(1987年)
- ピッチャー・オブ・ザ・マンス:1回(1987年5月)
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Steve Bedrosian(メジャーリーグ成績・英語)(The Official Site of Major League Baseballより)




