第4回全日本都市対抗野球大会(だい4かいぜんにほんとしたいこうやきゅうたいかい)は、1930年8月5日から8月10日まで明治神宮野球場で開かれた都市対抗野球大会である。
概要
- この大会から、台湾のチームも参加、参加チームは15チームとなった。
- 大会の人気と注目度が上がり、JOAKによるラジオ全国中継が行われた。当時JOAKの野球アナウンサーは松内則三アナウンサー1人しかおらず、延長17回の試合も含め、14試合すべてを松内アナが実況した。
- 優勝を飾ったのは4年連続出場の東京倶楽部。本土野球ファンの悲願が達成され、黒獅子旗は海を渡らず本土チームの手に渡った。
出場チーム
大会
1回戦
- 第1試合(8月5日)
- 第2試合(8月5日)
- 第3試合(8月5日)
- 第4試合(8月6日)
- 第5試合(8月6日)
- 第6試合(8月6日)
- 第7試合(8月7日)
2回戦
- 第1試合(8月7日)
- 第2試合(8月7日)
- 第3試合(8月8日)
- 第4試合(8月8日)
準決勝
- 第2試合(8月9日)
決勝
- 決勝戦(8月10日)




