五藤 正亮(ごとう まさすけ、1835年〈天保6年〉 - 1898年〈明治31年〉, Gotō Magobei Masasuke, 16th head of the Musō Jikiden Eishin-ryū)は、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第16代宗家。字は「孫兵衛」。無双直伝英信流道場再興の祖。
来歴
生い立ち
1835年(天保6年)、土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれる。
居合を無双直伝英信流第15代宗家・谷村亀之丞自雄に師事し修行。
居合道場の再興
明治維新以後、廃刀令の煽りを受け剣道も居合も衰退し、また特に長谷川英信流居合は江戸時代藩外不出の「御留流(おとめりゅう)」で、町中に道場も無く、藩校の一部で伝えられたのみで、これを習った者が元々限られたのに加えて、廃藩置県後は藩の庇護も解かれ、存続の危機にあった。長谷川英信流の宗家・谷村家の親族であった板垣退助伯爵は、1893年(明治26年)、帰高の際に高知市材木町にあった「武学館」に招かれた際、長谷川英信流居合術と松嶋流棒術の由来と功績を述べ、これらの武術を後世に継承させるためには、適切な師範と道場が必要であるとその保護に関する弁舌を行い、適任者を衆に議した。詮議の結果、居合は無双直伝英信流第15代・谷村亀之丞自雄のもとで居合術を学んだ五藤孫兵衛正亮、棒術は新市町の横田七次が最も堪能であるとの意見を得、板垣は両氏に指南の旨を直接相談に赴いた。両氏より快諾の旨を得た板垣は、さらに高知の素封家・竹村与右衛門の援助を受けその敷地の一角に道場を建設させ、これらの振興につとめた。五藤正亮は名実ともに居合術の普及に努め子弟を育成。その後、正亮の居合の修養深きを知った高知県立第一中学校(のち「高知県立高知城東中学校」と改称, 現校名・高知県立高知追手前高等学校)校長・渋谷寬は「居合術が身心鍛錬に特効がある」として正亮を学校に招聘し生徒たちに指導させた。
1898年(明治31年)歿。享年64歳。
著名な門人
- 大江正路(無双直伝英信流居合術第17代宗家)
- 森本兎久身(海軍大佐)
- 田口刺戟(海軍大佐)
- 坂本政右衛門(陸軍中尉)
補註
参考文献
- 『英信流居合と板垣伯』岡林九敏著(所収『土佐史談』第15号) 1926年(大正15年)
- 『師伝芥考・土佐の英信流』岩田憲一著、1984年(昭和59年)
- 『板垣退助と英信流』広谷喜十郎著(所収『高知市広報 あかるいまち』2007年7月号)
- 『江戸期の土佐における居合関係史』
- 『土佐武道史話』平尾道雄著、1961年、高知新聞社
- 『御侍中先祖書系圖牒』旧山内侯爵家蔵(高知県立図書館寄託文書)
- 『板垣精神』一般社団法人 板垣退助先生顕彰会 編纂、2019年、ISBN 978-4-86522-183-1
関連項目
- 無雙神傳英信流
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