甲斐 拓哉(かい たくや、1990年12月18日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
経歴
プロ入り前
小学校3年時に松本北リトルリーグ城東フェニックスで野球を始め、投手・捕手として活躍、中学時代は松本南シニアに所属。エースとして、2005年のジャイアンツカップ全国大会優勝に貢献した。当時既に140km/hの直球を投げ、プロのスカウトからも注目されていた。
その後東海大三高校へ進学し、1年秋からエースを任された。3年春の南信予選1回戦では17奪三振でノーヒットノーランを記録し準優勝。夏の長野大会では準々決勝で151km/hを計測し、準決勝ではレギュラーの約半数が中学時代のチームメイトの松商学園と対戦し、9回を3安打に抑えたが失策絡みで4失点し、3-4で敗退した。
2008年のドラフト会議でオリックス・バファローズから1位指名を受け入団。
オリックス時代
2009年は右手指の故障等でファームでも1試合登板に終わる。
2010年は春季キャンプ中に痛めた右肘について同年4月下旬に調整を終え、シーズン終盤には復帰。フェニックス・リーグでの投球が認められて秋季キャンプにも参加。
2011年12月2日に戦力外通告を受け、育成選手として再契約した。
2012年10月4日に再び戦力外通告を受け、10月31日に自由契約公示された。
独立リーグ時代
2013年1月4日に独立リーグであるベースボール・チャレンジ・リーグの信濃グランセローズに入団する事が報道され、同月10日、正式に入団が発表された。
2015年11月18日、任意引退での退団が発表された。
独立リーグを引退後、採用試験を受け現在は長野県の松本市役所へ入庁し勤務している。市役所の軟式野球チームでプレーしているが、肩の痛みから投手はしていないとのこと。
選手としての特徴・人物
最速151km/hを記録した直球の評価が高い。反面中指にマメができやすく、高校2年秋にはマメの影響でブロック大会敗退を経験している。
家庭の事情から祖母と接する時間が多かった。きんぴらごぼう、切り干し大根、おからが好物である。
詳細情報
年度別投手成績
- 一軍公式戦出場なし
独立リーグでの投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 21 (2009年 - 2011年)
- 121 (2012年)
- 19 (2013年 - 2015年)
脚注
関連項目
- 長野県出身の人物一覧
- オリックス・バファローズの選手一覧
- 信濃グランセローズの選手一覧
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)



